ラインゴルト
ラインゴルトは1928年5月15日、ドイツ国営鉄道(DRG)などによる長距離急行列車(Fernschnellzug)102/101列車としてフーク・ファン・ホラント - バーゼル間で運行を開始した。なお当時のFernschnellzugの略号は "FD" だったが、ラインゴルトに対しては特別にFを2つ重ねた "FFD" という略号が用いらることもあった。
フーク・ファン・ホラント発の列車はユトレヒトでアムステルダムからの客車を併結し、アーネムを経てエメリッヒ(Emmerich)でドイツ領に入った。ここからライン川の右(東)岸沿いにデュースブルク、デュッセルドルフなどを経由し、ケルンで鉄橋を渡って左(西)岸に移る。コブレンツからマインツにかけての景勝地を通過したのち、マインツで再び川を渡って右岸に転じさらに南下する。マンハイムでは当時の駅の構造上方向転換が必要であった。スイスとの国境を越えバーゼル市内で三度ライン川を渡り、バーゼルSBB駅が終点となった。一部の客車はバーゼルからさらにルツェルンまで直通した。またフーク・ファン・ホラントではイギリスからの夜行連絡船と接続しており、これと乗り継ぐことでイギリスからスイスまで約24時間で旅行することが可能となった。
客車はミトローパの所有する一等および二等(当時のヨーロッパは3等級制)のサロン車とコンパートメント車からなり、一部の客車には厨房が備え付けられており客席で食事をとることができた。客車はクリーム色地に青帯の塗装が施されていた。
ラインゴルトの1ヶ月後の1928年6月15日には国際寝台車会社(ワゴン・リ)によるアムステルダム - チューリッヒ間の昼行列車「エーデルヴァイス」がブリュッセル、ルクセンブルク、ストラスブール、バーゼル経由で運行を開始した。両列車はその後TEEの時代に至るまでライバル関係にあった。エーデルヴァイスは途中のアントウェルペンでイギリスからの船と接続しており、イギリス - スイス間の需要をめぐっても両者は競合関係にあった。
ただし、1929年からラインゴルトの一部客車がチューリッヒまで直通した際には、バーゼル - チューリッヒ間の運行を委託されたスイス連邦鉄道はラインゴルトの客車をエーデルヴァイスの客車と一緒に連結して運転した。このような運行は1933年まで続いた。
1939年5月15日のダイヤ改正で、ラインゴルトの一部客車はフーク・ファン・ホラント - ミラノ間を直通するようになった。しかし第二次世界大戦直前の国際関係の悪化により、ラインゴルトは1939年8月22日をもって運休となった。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
以前はラインゴルト急行と呼ばれていたそうです。
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